朝4時45分に起きる僕の聖域は、妻に嫌な顔をされたところから始まった
朝4時45分。
iPhoneのアラームが小さく鳴る。妻と息子を起こさないように、ベッドからそっと抜け出す。
リビングに移動して、コーヒーを淹れて、ノートPCを開く。
ここから僕の「聖域」が始まる。
本を読んでもいい、ブログを書いてもいい、お金の勉強をしてもいい。
誰にも邪魔されない、僕だけの2時間。
でも、この習慣にたどり着くまでには、けっこう時間がかかった。
そして何より——妻に何度も嫌な顔をされ、息子にも「ダメ!」と言われたところから始まった。
きっかけは、本部に異動になった2024年7月
時間を巻き戻すと、2024年の7月頃。
とある理由で、営業から本部系に異動になり、生活が一変した。
勤務時間は9:00〜17:30、基本残業なし。
営業時代の慌ただしさが嘘のように、夜の時間がぽっかり空いた。
正直に言うと、最初の数ヶ月は、空いた時間の使い道がわからなかった。
ただぼんやりと、夜の時間が流れていた。
そんな中、ふと同期のことが頭をよぎった。
彼は昔から、毎日ランニングを続けていた。
そして、ある日こう思ったのだ。
1日15分の時間も作れない奴が、営業で結果を出せるわけない。
確かに、そうだ。
僕は営業として結果を出すために、小さなことをコツコツやってきた自負はあった。
朝の通勤電車で本を読み、メモを取り、訪問前に資料を読み込み——
それでも、ランニングだけはずっと進められなかった。
理由は、はっきりしている。
日々の営業で、肉体的にも精神的にもクタクタだった。
「これ以上疲れることはしたくない」
そう言い訳して、ずっと目を背けてきたのだ。
異動から3ヶ月、ようやく僕は動き始めた。
2024年10月のことだった。
15分の散歩から、始めた
いきなり走れるはずもない。
2024年10月、まずは15分歩くところから始めた。
朝起きて歩く日もあれば、起きられなくて帰宅後に歩く日もあった。
徐々に距離を伸ばして、2.5キロくらい走れるようになった頃には、
歩く・走るが半々のリズムになっていた。
問題は、続けるうちに走るタイミングがバラバラだったことだ。
朝走れた日はいい。
でも、朝起きられなかった日は、帰宅後に走る。
帰宅後に走るということは——
その時間、妻に育児を任せることになる。
妻の「嫌な顔」が、徐々に増えていった
最初のうちは、妻は何も言わなかった。
でも、続けていくうちに、空気が変わってきた。
僕がランニングウェアに着替え始めると、妻の表情がふっと曇る。
言葉にはしないけど、伝わってくる。
「またなのか」と。
僕はその間、好きなだけ走って汗を流している。
でも、妻はその間、お風呂、ご飯、寝かしつけ——一人で全部やっていた。
僕の「自分時間」は、そのまま妻の「ワンオペ育児時間」になっていた。
頭ではわかっていた。でも、走るのが楽しくて、つい言い訳をして続けてしまった。
決定打は、息子だった。
ある日、僕が玄関で靴を履こうとしたとき、息子が走ってきて言った。
「パパ、ダメ!」
短い、たった一言。
でも、その瞬間に、僕の中で何かが折れた。
——ああ、これはもう続けちゃダメなやつだ。
朝起きを試したけど、なかなか習慣化しなかった
ここから、僕は「生活そのものを見直す」モードに入った。
夜の自分時間が妻と息子に負担をかけるなら、
夜じゃない時間に作るしかない。
候補は2つだった。
- 朝、家族が起きる前に時間を作る
- 通勤中の電車で時間を作る
通勤の電車時間は、すでに本やYouTubeで使っていた。
となると、残るは朝しかなかった。
決意して、朝起きを試してみた。
でも——当時の僕は完全に夜型だった。
夜23時にベッドに入って、朝7時に起きるリズム。
何度か挑戦はした。
3日続いて、寝坊して、また3日続いて、また寝坊して。
気合だけで朝型に変えようとしても、まったく習慣化しなかった。
「やっぱり自分には無理なのかな」
そんなことを、何度も思った。
スイッチを入れてくれたのは、ヒトデさんの本だった
そんなとき、ふと手に取った本があった。
ヒトデさんの『嫌なことから全部抜け出せる 凡人くんの人生革命』。
ブロガーのヒトデさんが、平凡な会社員が人生を変えるためのステップを書いた本だ。
その中で、僕の頭をガツンと殴った一文があった。
早起きの裏技は、早く寝ること。
……いや、当たり前すぎる。
でも、当たり前すぎて、僕はそれを実行していなかった。
僕は「夜の自分時間」を諦めきれずに、結局23時くらいまで起きていた。
そのうえで「明日は5時に起きるぞ」と気合だけで突っ込んでいた。
そりゃ続くわけない。
この本を読んで、ようやくスイッチが入った。
そして、僕は決めた。
息子と一緒に寝る。
まず、子供を早く寝かせることから始まった
朝型を続けるために、僕がまず変えたのは「子供の就寝時間」だった。
我が家では、息子は基本20時〜20時30分に寝かせる。
日によっては難しい日もあるけど、21時までには布団に入れるようにしている。
理由は2つある。
① 子供の成長のため
睡眠時間と成長ホルモンが密接につながっていることは、調べてみると本当によくわかる。
子供の体を作るのは、結局のところ夜の睡眠だ。
だから、僕の都合で就寝を遅らせてはいけない。
② 子供を早く寝かせると、その後の自分の時間が増える
正直に書く。これは自分のためでもある。
息子が眠るまでが早いほど、僕がその後に動ける時間が長くなる。
息子が眠ったあと、僕はリビングで少し作業をする。
ブログを書いたり、勉強したり、副業の整理をしたり。
そして、基本は22時には寝る。
作業が必要な日は22時半、23時になることもある。
逆に、疲れた日や息子がぐずる日は、そのまま息子と一緒に20時半に寝てしまうこともある。
完璧じゃない。
日によって寝る時間はバラバラだ。
でも、それでいい。
「夜の自分時間を膨らませない」というルールさえ守れば、4時から5時の間には自然に目が覚めるようになった。
それでも僕がベッドから出る理由
最初の数日は、それでも起きられない日があった。
でも、3週間、1ヶ月と続けるうちに、徐々に体が早寝早起きを覚えていった。
今では、基本は4時から5時の間に起きている。
正直に書く。
今でも起きられない日はある。
前日に飲み会や夜の予定が遅くまで入った日は、無理せず寝坊する。
それは仕方ない。
それ以外の平日は、ほぼ自然に目が覚めるようになった。
眠い日もある。
ベッドの中で「あと10分……」と思う日もある。
それでも僕がベッドから出るのは、たった一つの理由だ。
人生を変えたかった。
それだけだった。
朝の聖域で、僕の生活はこう変わった
朝の聖域ができてから、1日のリズムはこんな感じに固まった。
- 4時前後に起きて、コーヒーを淹れて聖域タイム開始
- 副業の作業、お金の勉強、ブログ執筆
- 7時に息子が起きてくる頃、僕は1日のメインタスクを終えている
- 朝食を一緒に食べて、出勤
- 帰宅後は、ランニングを「やらない」。家族と過ごす
- 20時半〜21時、息子と一緒に布団に入る
夜のランニングは、平日はほぼやめた。
代わりに、休日の朝に走るようになった。
家族と過ごす夜と、自分のための朝と、健康のための休日。
棲み分けができた。
妻に「”協力”って言葉は使わないで」と言われた日
朝型に変えてから、夜は家族の時間として丸ごと差し出した。
お風呂、絵本、寝かしつけ、全部一緒にやる。
そんなある日、僕は妻にこんなことを言ってしまった。
「育児にもっと協力するから」
何気ないつもりだった。
むしろ、頑張ろうとしている自分を表明したつもりだった。
でも、妻は静かにこう返した。
「“協力”って言葉、使わないでほしい」
最初は意味がわからなかった。
妻は続けた。
「“協力”って言うってことは、本来は私がやることを、あなたが手伝ってくれる、っていう前提でしょ。
そうじゃなくて、これは”分担”でしょ」
ハッとした。
妻も働いている。
僕も働いている。
家事も育児も、本来は二人でやることであって、どちらかが主担当でどちらかがサブじゃない。
「協力します」と言っている時点で、僕の頭の中では、
育児の主担当が妻、サブが僕になっていた。
無自覚のうちに。
その日から、僕の中で「協力」は禁句になった。
家事も育児も、分担。
お互いの仕事と生活のリズムを尊重しながら、お互いの強みでカバーし合う。
家族でうまくやっていくのは、当たり前のことだった
朝型に変えてから、夜は家事育児を分担するようになった。
洗い物、風呂掃除、息子と絵本を読む時間、寝かしつけ。
特別なことをやっているつもりはなかった。
これまでは、妻が一人でやってきたことだ。
僕がランニングで好きに走っていた1時間、妻はずっと一人で家を回していた。
その負担を、少しでも減らしたい。
家族でうまく回していきたい。
それだけだった。
家族でうまくやっていくのに、特別なことなんていらない。
自分が動けばいいだけの、当たり前のことだった。
そう気づいたら、なんだか肩の荷が降りた気がした。
正直に言うと、たまには妻から「ありがとう」と言われると嬉しい。
でも、それを目的にしたら、また「協力する側」に戻ってしまう。
「分担する」ということは、見返りを期待しないということ。
そう自分に言い聞かせている。
なぜ僕は、独立することにしたのか
朝の聖域ができてから、僕の頭の中では、ずっと別のことが回っていた。
「このまま、サラリーマンを続けるのか」
いま振り返ると、最初はただの「逃げ」だったと思う。
満員電車の通勤。
決まった時間に出社して、決まった時間に帰る。
家族と過ごしたい時、何かやりたい時に、自由が効かない。
サラリーマンであることそのものに、自分で選択する余地が少ない——
そんな違和感を、ずっと胸に抱えていた。
最初の頃は、「今の職場がヤダ」「この働き方がヤダ」と、
ただ不平不満を口にしていた。
でも、ある時気づいた。
言っても、何も変わらない。
それを選んでいるのは、自分だ。
辞めない選択をしているのは、自分だ。
何かを変えるなら、何かを捨てる必要がある。
そこから、本気で「捨てる」ことを考え始めた。
2024年5月24日、僕はカレンダーに「5年後に退社する」と書いた
朝の聖域で、ノートに自分の人生を書き出していたある日、
僕はカレンダーに、こう書き残した。
「2029年、退社する」
2024年5月24日のことだった。
当時の僕にとっては、5年後の話。
ぼんやりとした、まだ遠い目標だった。
でも、いろんな人との出会いがあった。
自分のやりたいことが、少しずつ形になっていった。
気づいたら、その日付は前倒しになっていた。
- 2025年12月、法人化
- 2026年8月、退社予定
「5年後」が、「1年と少し後」に縮まった。
不安もある。でも、覚悟は決まった
正直、いまも不安はある。
本当にやっていけるのか。
家族を守れるのか。
ひとりで動いて、どれだけのことが出来るのか。
でも、「なんとかする」っていう覚悟は、もう決まった。
そしてこの覚悟を持つために、
朝の聖域は、絶対に必要な準備時間だった。
朝の2時間で、自分のやりたいことに向き合う。
不安を書き出して整理する。仲間にメッセージを送る。事業計画を見直す。
こうやってブログを書く。
この毎日の積み重ねが、「いつか辞めたいな」を「2026年8月に辞める」に変えた。
家族の時間を守るために朝型に変えた——それだけだったはずなのに。
気づいたら、家族との未来を作るための時間にもなっていた。
いま朝活を始めたいあなたへ、4つだけ
最後に、これから朝型に変えようとしている人へ、僕の経験から4つだけ。
1. 夜の自分時間を、潔く諦める
これが一番大事。早く寝ないと、絶対に早く起きられない。
ヒトデさんの言う通り、早起きの裏技は早く寝ることです。
2. 子供がいるなら、まず「子供を早く寝かせる」から始める
21時までに寝かせれば、その後の自分の時間が必ずできる。
作業しても22時には寝られるし、疲れた日は子供と一緒に20時半に寝てもいい。
子供の睡眠リズム = 自分の睡眠リズムになる。
3. 起きられない日があっても、自分を責めない
僕も今でも、飲み会の翌日とかは起きられない。
でもそれでいい。
3日連続で起きれた日が増えていけば、それが習慣化。
最初から完璧を目指さず、ゆっくり体に覚えさせていく。
4. 育児パパへ:「協力」じゃなくて「分担」って言葉を使おう
これは僕が、妻に教わったこと。
「協力する」と言ってる時点で、無自覚に「妻が主・自分がサブ」の構図になっている。
家事も育児も、本来は分担するもの。
朝型に変えると、夜の時間で家事育児を分担できるようになる。
これが、家族との関係を一番大きく変える。
来週からの連載予告
このブログでは、これから毎週、
- 営業(14年の現場で学んだこと)
- お金(資産形成・固定費・FIRE)
- 育児・家族(聖域・独立準備・5歳の息子)
の3つの柱で、ローテーションで書いていきます。
来週は、営業の話を書く予定です。
14年で一度だけ、僕が「コンビニの駐車場で泣いた夜」のこと。
それでは、また来週の朝に。
ガンチャン
37歳・営業職・1児の父
2026年8月、14年勤めた会社を退社して独立予定

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